あれやこれやがありまして
昨年の初夏、転がり落ちる様に岩本照さんのオタクになってから早くも1年が経とうとしている。
思い返せばこの約1年、色々なことがあった。
自担と出会って、就職が決まって、自担の舞台演出が発表されて、そうした内になんだか事務所がゴタついて。
それでもそんな中で10月、「少年たち」を初日に観劇しに行った。
凄い舞台だった。
従来の伝統を引き継ぎつつも、これまでとは全く別物の様で、それでいて本質はブレていない。
まさしく岩本照が創りあげた新たな「少年たち」だ。
几帳面に張り巡らせた伏線を一つずつ回収して寸分の狂いもない様に積み上げられた脚本は彼の生来の生真面目さが出ていたし、きっちりと積み上げたブロックを一瞬で破壊する様なエンディングも、また彼らしいと思った。
初めてとは思えないほどの大胆さを持った演出は、たくさんの人の力添えがあったことを差し引いても余りある彼の才能を示していて、僅かな畏怖と共にとんでもない人のオタクになったことを改めて認識させられた様な、そんな10月だった。
それからは怒涛の毎日だ。
まさかの自担の主演ドラマが発表され、あっという間に年を跨いで放送を迎えたと思ったら春の舞台が解禁になり、辰之助にメロったり卒制に追われたりあれやこれやしているうちに今年の4月。
新たな春『GALA』は幕を開け、どうにか大学を卒業した私の社会人生活も始まったのである。
いざ、新橋演舞場
来たる4月20日、私はGALAのチケットを手に東京の地に立っていた。
念願かなって、漸く自担とご対面という訳である。
TVや円盤でしか観たことのなかった自担のパフォーマンスを、自分の目で直接観られる。
胸が躍る様な期待と、浮かれて歩きすぎたのか何故か両足にできた靴擦れの痛みを抱えて意気揚々と演舞場に足を踏み入れた。
新世界
「岩本照は、舞台でこそ輝く人間だ」といった様なことを同担の方々が言葉にするのをXでよく見かける。
板の上に立つ自担を生で観たことがなかった私にはそれがピンと来ず、「そんなに凄いんだ〜」とどこか夢物語の様にその言葉を流していた。
GALAを観劇した今なら分かる。
言葉通り、岩本照は舞台の上で生きている人間だった。
肉眼で見えて、自分と同じ空間で息をして、動いている。
それなのに、同じ人間だなんて到底私には信じられなかった。
精悍な顔立ちがパフォーマンスのためにころころと表情を整え、無駄なく鍛えられた体が全てに意味を持って意志のまま自在に動かされる。
この例えが果たして正解なのかはわからない。
けれどもそれは、まるで自分とは全く別次元で生きている精巧な人形を観ている様だった。
それくらいに、板の上は彼の世界で、彼は舞台の上で生きていた。
それでも岩本照は、天才ではない。
そんなことはとっくのとうに理解している。
「僕は何をするにも時間がかかる」というのは彼の言だし、実際彼が「完璧」をつくるために果てしないほどの努力をしていることを、彼の担当なら誰でも知っている。
ただ、やっぱり常人ではないなと思ったのは今回のソロ「新世界」だ。
鳥居の様な形の細い機構に涅槃の形で寝そべりながら登場したかと思えば、ソファ に飛び移って曼荼羅模様を背に浪人達を操りつつ英語詞のラップを歌い上げる。
言葉にすると極めて混沌としていて、まとまりがない。
けれど、彼はこれを成立させてしまうのだ。
気怠げな表情で雲の下を見下ろしながら、玩具のように指先一つで浪人たちを動かして遊ぶ気まぐれな神。
そんな世界観を登場して数秒であっという間に構築してしまった。
あの時間、彼は演舞場を掌握していて、観客はみな彼の掌の上だった。
観客に考える隙を与えないある種傲慢とも取れるパフォーマンスと、納得させるだけの圧倒的な存在感は彼が生まれついての表現者たる所以で、そうして表現された「新世界」はまさに「新たな宗教の幕開け」の様にも見えた。
だからあえて言いたい。
彼はきっと、0番で光り、照らされるために生まれてきた人間だ。
GALA
和と洋が入り混じり、エネルギッシュさと重厚感を持ち合わせながら目まぐるしく演目が進んでいくGALAは、その言葉通り「祭り」のような舞台だった。
そして、海外を視野に入れているのがよく分かる舞台でもあった。
随所に差し込まれるジャズやアクロバットは「舞台」というよりも「ショー」のようで、その中に日本古来の文化を上手く混ぜ込んでいる、そんな印象だった。
日本の伝統を蔑ろにするわけでも僅かな要素を入れるだけでもなく、モダンな雰囲気を漂わせながらあえて少し外した「和」を創り込んでいる。
ターゲット層が若者や海外なのは明らかで、実際演者も「いずれは海外に」ということをそろって口にしていた。
実のところ、この「海外志向」を観劇前まで私は若干懐疑的な思いで聞いている。
それは、以前彼らがやっていた「歌舞伎」と名の付く舞台を想像していたからで、「歌舞伎」と銘打って海外でショーをするのならそれは真っ当な伝統継承者であるべきではないのかと心のどこかで感じていたのだ。
けれど、そんな言いようのない感情も「GALA」を観たら吹き飛んでしまった。
だって、彼らは本気で日本の文化を海外にまで届けようとしていたのだ。
歌舞伎のような演目はあるが、隈取りはせず、歌舞伎という名称もついていない。
その他にもオマージュ元が分かる演目は幾つかあったが、どれもはっきりと明言はされておらず、オリジナルの要素が付け加えられている。
本家本元との差別化を図っているのは明確だった。
今回の舞台を観た人が、例えば「今度は歌舞伎を観に行ってみようかな」って思ってくれたら、よりやる意味があるなと思っています。*1
僕らは歌舞伎界の人間ではないですけど、僕らが発信する歌舞伎もあってもいいと思う。*2
上記の台詞は、GALAについてのインタビューで彼らが口にした言葉だ。
伝統芸能の継承者ではない彼らが、伝統芸能を模した舞台をする。
大いに結構ではないか。
日本の伝統芸能はそのどれもに脈々と受け継がれてきた歴史があり、血筋がある。
だがしかし、その敷居が現代人には高く感じられるのもまた事実だ。
けれど彼らはその血筋を受け継いだ人間ではない。
つまり、彼らにはある程度のカジュアルさを保ったまま彼らなりの伝統の一端を演じ、表現することができるという強い武器があった。
GALAが誰かの入り口となり、彼らは伝統芸能の世界に導くための橋となる。
そうした未来が、本当に待っているのかもしれない。
彼らの考える「和」が海を渡り、そうして今度は海の向こうから彼らの始発点である新橋演舞場に「和」を求めて観客がやってくる。
GALAは、そんな希望を秘めている。
遠足は帰るまでが遠足、GALAは帰るまでがGALA
全て理解したかの様に長々とGALAについて書いてきたものの、ここまで書いてきた内容は全て私の持ち前の脳内補完力と拡大解釈によって生成されているので、妄想怪文書と言っても差し支えない。
とどのつまり、このブログで私が何を言いたかったのかというと
私の自担って、超絶格好良い上に天上天下唯我独尊男でサイコ〜
ということに終着する。
黄色い蝶々が額から離れなくてへにょへにょ笑ってたの可愛かったな〜。
因みに、両足にできた靴擦れは、アドレナリンが出ていたのか公演中はまるで痛まなかった。
GALAは靴擦れにも効く。
余談ついでにもう一つ。
落下物が頭の上に降り注いでくるような席で観劇したのだが、帰宅後に服を脱ぐと何かがひらひらとフローリングの上に落ちた。
足元を見ると、きらきらと光る赤い蝶。
どうやら、服の間から入り込んでいたらしい。
意図せぬお土産に、思わず宿泊先の家主である従姉妹と顔を見合わせてひとしきり笑ってしまった。
「GALAはお家に帰るまでがGALA」とは本当らしい。
そんな新たな春の祭典にまた来年も出会えることを祈って、とりあえず精一杯日常をやらなければならない。
過去はもうないし、未来はまだないので。